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K先生のハナシ

  • 執筆者の写真: AKEMI YOSHIDA
    AKEMI YOSHIDA
  • 2016年9月16日
  • 読了時間: 2分

K先生と出会ったのは19歳の夏だった。

上京して初めて就いた職が〈美術モデル〉だった。

K先生は彫刻家で、常磐線に揺られて小一時間で着く藤代駅のすぐ近所にアトリエ兼住宅があり、その年は8月一杯使ってくれた記憶がある。

先生に子供はおらず奥さんと利口な飼い犬〈ゴンベエ〉とでつましく暮らしていた。

私がティーンエイジで九州から出てきたと言うと、K先生はご自分が若かった頃と重なったのか大層良くしてくれた。

先生は饒舌な方ではなかった。

ただ、いつも私が休憩中に腰掛ける場所に何冊か本が置いてあり、それは日本が先の戦争でアジア列国に於いてどれだけ汚い事をしたか、という内容の物が多かった。

〈ゴンベエ〉の頭をなでながら「オレはもう何処へも行きたくねえよ」とポツリ言った先生の言葉をよく覚えている。

好きな場所に愛する人と一緒に暮らすという、当たり前の自由も無かった時代を生きた人の言葉だけに胸に迫る物があった。

私はその後美術学校に進んだものの、学費が捻出出来なくなり中退して、先生に弟子入りしようかなどとノンキに考えた時、黒いフチのハガキがポストに入っていた。先生は亡くなってしまった。

その直近の夏、「これをあんたにあげるよ」と言って先生は自作の木製の丸いペンダントをくれたのだった。表には羽根を広げた水鳥のレリーフがあり、裏を返すと十字架が彫ってあり、先生のイニシャル〈Y•K〉が刻んであった。

帰省してもずっと首から下げていたが、何処かで無くしてしまった。

残された奥さんの消息も気になるが25年も不義理をしてしまい、恥ずかしくて連絡も出来ないでいる。

20代•30代と人の醜い所ばかりを学習した私にとって先生との出会いは唯一幸福な思い出である。

先生の辞世の句である。

「心ある人にぞ触るる人の心は」


 
 
 

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